09日 8月 2020
ちょっとした対立があった時、相手が他人に迷惑を掛けていても、なかなか口に出して注意することは難しいものです。 そこで好きな外国の小説を開いて、小さなトラブルの解決方法を調べてみました。 すると意外なことに、日本では侍が日本刀を腰に差している時代、アメリカでも拳銃を持っている人が多く、少々の不快感や対立は、相互に命にかかわる様な対立への発展を避けるため,充分我慢をしあっている現実が見て取れます。 契約書など持っていなくても、握手だけでも不動産売買を行っていた事実は、契約を守らないときには、相互に拳銃を持っていれば守るのが常識でした。  日本でも他人の駐車場を無断で駐車する人は、少額訴訟制度で有効に裁かれます。 時には更に被害者側の弁護士費用も必要な場合もあります。
23日 7月 2020
写真の貢献に、社会と言う以上、【家庭】や【信仰】などの個人に帰属するものではない。 【他人】や【経済】など、具体的で利益や恩恵を生じる必要があります。 私が証拠写真家協会と言う名称の団体を作る理由は、多くの社会問題において、常に加害者と被害者が生まれ、しかもその関係に、・・・正義の実現・・・が果されていない事実を知っているからです。 それでは世界の多くの国で司法に関する訴訟制度を持ちながら、正義の実現が難しいのか?気の毒ではありますが、正義の引き出しには「把手」を引く行為と、そもそも、証拠の作成とが必要であることを理解する必要があるのです。  ここで知っておくべきは、警察官や検察官、弁護士や判事の経験や学歴です。誰しもが想像するのは、卒業大学や経歴ですが、人間個人には正義感とか人格とかのバランサーが内蔵されており、私達には、個人毎の知恵袋に相手の評価基準が備わっています。 私達にも正義に対する許容基準が備わっていた時、証拠についての理解力も具備されていることにもなり、たった一枚の写真が、考古学者が旧い過去の生活実態を知るように、すべての事実を証明するのでしょう。  
他人から給料を受け取った経験がなく、親の職業を小さな新店舗で物真似で始めた。 お蔭で指導者がいないという幸運にめぐまれ、偶然知り合った陶磁器の大家加藤藤九郎先生に「法制史」を指導された。
02日 4月 2018
社会貢献が収入になります。 社会的弱者が収入を得る方法は限られています。